結果を大別すれば二通りに分けることが出来る。成功したか、失敗したか。この括りを犯罪に当てはめれば、失敗というのは、つまりは「未遂」に他ならない。
もちろん、犯罪そのものを取り締まることは当たり前であるとしても、たとえそれが、失敗という結果に終わったとしても罪を問う姿勢を明確に見せているのは、それだけ犯罪というものが大きな影響を与えるものであるからだろう。が、だからこそ、それを示唆したり手助けしたりすることも、同時に罪として裁かれる必然がそこにあると思う。
とはいえ、そこに何らかの意図が込められていて誘導するような立場であったとしても、教唆や幇助はあくまで従犯であり主犯と考えるのは難しいのではないだろうか。何より自由意志というものを尊重するものであるのだとすれば、そうでない方がおかしいとも思える。
だが、そういったことからすれば疑問に残る犯罪というのがある。
犯罪の中で最も罪深きものは人を殺めることであろうけれど、他者を殺めるということと、自らを殺めることはどれほどの違いがあるのだろうか。全く違うという考えもあるし、全く同じという考えもある。
どのような事情であれ人を殺めることが絶対的な犯罪行為であるのならば、戦争も死刑も自殺も当然罪に該当するが、それぞれの事情や状況を考慮することによって、これらを明確に分類することもできるだろう。他者を殺める可能性を表明すると同時に、自らも殺される可能性を受け入れること。予めどういった条件によって命を奪うかを提示すること。自由意志に基づいて自らの生命すら本人に委ねること。
生き方そのものを左右するような根源的な問いかけに対し、誰もが同一の解答をするはずもないとしても、ある程度の輪郭を確定させていなければ秩序を維持することは叶わない。それ故に、結局は常識によって判断され、その常識から外れることは決して許されることとはならないでいる。自殺防止の取り組みがそれなりに行われているのは、基本的に自殺は罪であるという常識が堅固に存在しているからだろう。
実際には、自殺したものに対し罪を問えないのは仕方がないものだとしても、それを教唆したり幇助したりすれば立派な犯罪の対象となる。しかし自殺が未遂に終わったとき、本人は処罰の対象となっていない。
「自殺教唆罪」や「自殺幇助罪」はあるのに「自殺未遂罪」というものは存在しない。あるいは、自殺が成功したとして、それによって保険金が支払われるという図式(もちろん契約によるだろうが)は、「自殺」そのものは犯罪の対象になり得ないという認識に立っていると見るのが自然であろうと思う。でなければ、犯罪行為に対し保険金を支払うということになってしまうのだから。
だとするならば、絶対的に主犯である本人よりも従犯たるものの方が重い罰を受けるという意味に他ならない。ある意味で、このような混乱は自殺という行為に対し、どのようなスタンスを採るかということが不明瞭であるという事を露呈していると思う。
もし、自殺が罪に値しないようなもの、自殺というよりは自決を尊重するのであれば、教唆はともかく幇助が罪に該当してしまうのは不自然であるし、どのような事情であれ自ら命を殺めることを許さないのだとすれば未遂も立派な罪であるし、保険金を支払うべきではないのではないか。


by 影法師
無法